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対談

対談 慢性炎症があるとなぜ発癌しやすいのか?

語る人

国立病院機構九州がんセンター院長
藤 也寸志

聞く人

遠賀中間医師会おんが病院・
おかがき病院統括院長
「臨牀と研究」編集委員
杉町 圭蔵

杉町
藤先生におかれましては,何かとお忙しい中,本日は『臨牀と研究』の対談においでいただきまして本当にありがとうございました。
私は,2年4ヵ月前に九州がんセンターの院長を拝命いたしまして,その際,この『臨牀と研究』で私の恩師であります杉町先生と対談をさせていただきました。杉町先生との対談は初めての経験で,そのときはとても緊張したのを覚えています。今回2回目の対談となりますけれども,全く同じように緊張しております。よろしくお願いいたします。
杉町
本日は,「慢性炎症と発癌」という非常に古くて新しい話題について,九州がんセンターの藤也寸志先生に,最新の情報を教えていただきたいと思っております。
とても広範囲で大きなテーマですが,頑張りたいと思います。よろしくお願いいたします。

ウィルヒョウの発癌説

杉町
早速ですが,炎症と発癌については,今から150年も前の1863年に,非常に有名なドイツのウィルヒョウが,「癌は炎症の局所から発生する」という説を提唱していますが,随分前からこの癌と炎症との関連性は指摘されていたのですね。
はい。恐らく医者なら誰でも知っているウィルヒョウというのは,病理学者です。当時,癌の発生の原因は不明だったのですが,彼は「癌は何らかの刺激によって組織が損傷されて,次いで起こる炎症の局所から生じる」という“癌刺激説”を唱えました。この考えは,慢性の炎症細胞から直接または間接的に何らかの細胞増殖促進因子などが放出されて細胞が癌化するという,現在の認識に一致しています。彼が近代病理学の開祖と言われるゆえんだと思います。
杉町
そのウィルヒョウのもとに留学されていた山極勝三郎先生は,日本に帰国された後,ウサギの耳にコールタールをずっと塗り続けて,1915年に世界で初めて人工的な発癌に成功されたという有名な話がありますね。
そうですね。山極先生は,もともと胃癌の研究を日本でされていて,「環境が癌細胞を作る。特定の癌細胞がもともとあるのではない」と述べていて,その1915年に先立つ1908年には,胃癌と慢性炎症の相関について,『胃癌発生論』という大著を発表されています。彼はウサギの耳にコールタールを根気強く塗布して,世界で初めて人工的に癌を作りましたけれども,簡単に成功したわけではなかったようです。実際に実験開始から成功まで実に3年以上かかったということです。自己の仮説に対する強い信念がないとできない業績だと思いますし,癌ができたときに,山極先生は「癌出来つ意気昂然と二歩三歩」と詠まれています。この出来事は,『うさぎ追いし~山極勝三郎物語』という映画になっておりまして,昨年末に上映されました。私は,学生のときから癌の研究に興味があって,実際,山極先生の名前は知っていたということがあって,一人で映画館に見に行きました。お客はほんのパラパラでしたけれども,改めて私は非常に感動しました。
うさぎ追いし~山極勝三郎物語
図1
杉町
山極先生はすごい方ですね。執念の方でしょうし,この業績はノーベル賞にも値すると思いますが,いかがですか。
そうですね。実際にノーベル医学生理学賞に4回ノミネートされたようです。ただ,残念ながら受賞には至っておりません。山極先生に先駆けて,デンマークのフィビゲルという人が寄生虫を使った人工発癌に成功していて,2人同時の受賞が勧められていたようですけれども,いろんな理由でフィビゲルだけが1926年に受賞しております。実際は,そのフィビゲルの研究でできたものは癌と呼べるものではなくて,後で見ると,彼の診断基準自体に誤りがあって間違いだったということがわかっているのですが,そのことを考えると重ね重ね残念だと思います。
 その時のノーベル賞選考委員のヘンシェンという人が,1966年,つまり40年後に東京で開催された国際癌会議で,「世界で初めて人工的に癌を作ったのは山極博士だ。ノーベル賞を受賞させなかったのは,今でもノーベル賞選考委員会が残念に思っている。日本の皆さんに申し訳なく思います」ということを講演で実際に述べておられます。この山極先生の発見で,以後の癌の実験病理学的研究が長足の進歩を遂げたことは周知の事実だと思います。
杉町
このノーベル賞を返してもらって山極さんに渡した方がいいですね。そういうことはできないのでしょうね。
そうですね,間違いだったということですからね。
杉町
冗談はさておき,私は学生時代に医学史の講義で,イギリスで煙突を掃除する人に陰嚢癌が多発するということを聞いてびっくりしたのですが,これは化学物質に接触することによって慢性炎症が起こって,それから癌が起こったということでしょうか。
そうだと思います。実際その報告がなされたのは1775年です。ここでは,癌ができると報告しただけではなくて,煙突掃除人は煤に曝露されて陰嚢の皮膚癌ができやすいという報告をした。ただそれは,煙突掃除の期間と発癌に関係がある。それから,掃除の後によくシャワーを浴びる人は癌が少ない,癌ができるまでに10年以上かかる,実際掃除をやめても癌ができることなどをきちんと調査した上でこの報告をしています。このことは,先ほどの山極先生の研究につながっていると思います。つまり,煤とかコールタールに含まれる,今ではベンツピレンとわかっていますけれども,それらの化学物質が局所に炎症を起こして発癌を促進したのだと思います。

発癌との関係が明らかになっている慢性炎症は?

杉町
ほかに発癌との関係が明らかになっているような慢性炎症には,どのようなものがありますか。
何々「炎」とついているもので,癌とはっきり関係があるとわかっているのは,萎縮性胃炎,慢性肝炎,潰瘍性大腸炎のような炎症性の腸疾患などが挙げられると思います。そのほか,多くの慢性的な持続感染症に起因する炎症も発癌に関係していると考えられています。
杉町
今ではこれらの慢性炎症は癌と関係があるということがはっきりしていますけれども,これは疫学的な調査で明らかになったのでしょうか。
そうです。臨床的な観察で疑問を持って研究テーマとするというのは今でも大切な姿勢ですけれども,まずはその疫学的な調査の前に,経験的に,何かおかしいぞということで仮説を立てて,その仮説を疫学的にいろいろと調査して,また,病理学的な研究で一つ一つ証明されてきたのだと思います。それでも,「慢性炎症と発癌」というテーマ,その関係が一つの大きな学問的なテーマとなったのは,何といっても1980年代に入って分子生物学が発展してきたからだと思います。
杉町
今,持続感染症と発癌の関係をお話になりましたけれども,具体的にはどんな慢性的な感染症が癌の原因だと言われているのでしょうか。
胃癌を起こすヘリコバクター・ピロリ菌,肝細胞癌を起こすB型またはC型肝炎ウイルス,子宮頸癌を起こすヒトパピローマウイルスが代表だと思います。
杉町
これらはかなり前からよく知られていますね。
はい。そのほかにも,成人T細胞性白血病を起こすHTLV-1ウイルス,バーキットリンパ腫を起こすEBウイルスなどがあって,IARC(国際癌研究機構)によってグループ1,つまり発癌性は確実だというグループに分類されています。IARCによると,ウイルスや細菌などの持続感染が原因となって発生する癌の割合は,2003年には全ての癌の18%,2008年には13%と推定されています。これは地域によって異なっていて,先進国では9%程度なのに対して,発展途上国では23%という報告があります。ただ日本では,胃癌とか肝細胞癌が多くて,感染に起因する癌の割合は20~25%程度ということで,先進国の中では高いほうです。その中で最も多いのがピロリ菌による胃癌で15%,肝炎ウイルスによる肝細胞癌が10%,ヒトパピローマウイルスによる子宮頸癌が2~3%と言われています。
杉町
発展途上国は先進国に比べて癌が多いようですね。やっぱり慢性炎症が多いのは不潔だということですかね。
そういうことだと思います。ピロリ菌は口から感染しますので,下水道とかがきちんと整備されていないと,感染しやすいということがあると思います。
杉町
この統計だけを見た癌の頻度からいいますと,日本は不潔で,後進国に入りますね。
そのとおりですね。現在は減少してきていますが胃癌が日本に多いというのは,そういうことがあったのだと思います。

慢性炎症からの癌患者はどれくらいですか?

杉町
それでは,ヒトパピローマウイルス,ヘリコバクター・ピロリ,C型・B型肝炎ウイルスなどは,世界的に見ますと,どれぐらいの人が罹患しているのでしょうか。
2003年のIARCのレポートでは,年間罹患数は,ヒトパピローマウイルスでは55万人,ヘリコバクター・ピロリでは50万人,B型・C型肝炎ウイルスでは合わせて9万人とされています。ただ,日本の場合は,年間ではなくて,持続感染者数が大体わかっているのですが,ヘリコバクター・ピロリは5,000万人,B型肝炎ウイルスは130~150万人,C型肝炎ウイルスは150~200万人とも言われています。
杉町
ヘリコバクター・ピロリに5,000万人が感染しているといったら,日本では2人に1人ですよ。すごいですね。
これは2003年のデータですので少し古いかもしれませんけれども,今は少しずつ減ってきています。高年者ではもっと高い率ですが,若年者ではもっと低い率で,水道水などがきれいになったのが関連しているということです。ヒトパピローマウイルスは良性のものもいっぱいありますので,全体の数はよくわかっていません。
杉町
イボの原因はヒトパピローマウイルスと聞いていますが,どうですか。
ヒトパピローマウイルスというのは,150種とも200種とも言われるタイプがあって,癌を起こすのは16型,18型とか,約10種類の悪性型,高リスク型と言われるタイプです。通常のイボを起こすのは,6型,11型を代表とする低リスク型に分類されているものですから,イボが癌になるわけではなくて,その16型,18型などに感染している病変が将来癌になると言われています。最近では,悪性型,高リスク型のヒトパピローマウイルスは,子宮頸癌だけではなくて,中咽頭癌,肛門癌,性器癌の発癌にも関係していると言われています。
杉町
怖いですね。最近では,ヒトパピローマウイルスについて,特に若い女性はワクチンを接種するようにとよく言われています。新聞を見ると,このワクチンの副作用でいろいろとトラブっていることもあるようですが……。
高リスク型の16型,18型に対するワクチン,またはそれにもうちょっとタイプを加えたワクチンが何種類か作られていて,子宮頸癌の予防としては世界的に使用されています。子宮頸癌は30歳代までの若い患者さんが多くて,20歳代前半の発症者もいるため,感染する前の中学生の時のワクチン接種で約70%の子宮頸癌が予防できるとされています。これが100%ではないというのは,ワクチンのタイプで,16型,18型以外のタイプのワクチンができていないからだということのようです。
 ただ,日本では,そのワクチン接種を厚労省の肝煎りで始めたのですが,若い子たちに,体中の痛みを訴える原因不明の複合性局所仏痛症候群が副作用として注目されて,患者会の意見などを反映して,現在では,厚労省が最初に言った接種の積極的な勧奨を一時中止としましたが,それは今も中止のままになっています。日本も含めて,この症状とワクチン接種の因果関係は科学的に証明されていなくて,WHOは,日本の動きを見ていろいろと調査して,2013年の時点で「このワクチンを原因として疑う根拠に乏しい」というコメントも出しています。この対応は世界中で日本だけで,日本の専門部会でも関連性を否定しているのに接種の勧奨を再開していないことに対して,とても異例なことですが,WHOが名指しで非難しているということです。
杉町
厚労省はびびっているんですかね。
そうだと思いますが,難しい問題です。

ピロリ菌はどのような菌ですか?

杉町
ところで,ヘリコバクター・ピロリ感染と胃癌の関係が明らかになっていますが,このピロリ菌というのは特殊な菌ですか。
いえ,すごくありふれた,多くの人が持っている細菌です。昔は,胃酸の強い酸性環境の中では細菌など生きていられないのではないかと思われていたのですが,ヘリコバクター・ピロリはウレアーゼという酵素を産生して,胃粘膜で尿素をアンモニアと二酸化炭素に分解して,そのアルカリ性のアンモニアが酸を中和することで自分たちが生存しているということのようです。これ自体,昔からいる菌だと思いますが,培養ができなくて証明できなかったので明らかになっていなくて,ヘリコバクター・ピロリと命名されたのは1989年です。そのピロリ菌による胃の発癌のメカニズムもわかってきています。詳細は省きますけれども,発癌に重要な働きをするCagAというタンパク質を持っているピロリ菌の割合が,欧米人では2割ぐらい,日本人では9割以上ということです。かつ,そのタンパク質も形が少しずつ違っていて,発癌性の高い構造のCagAタンパクを持つのが東アジア型といって,日本にもこの東アジア型が蔓延しているということです。
杉町
先ほどの話では,日本人は5,000万人ぐらいがピロリ菌を持っているという話ですが,ピロリ菌を持っている人は外国でも多いのでしょうか。
そうですね,2005年のデータでは世界人口の40~50%ということですから,かなりの保菌者がいるようです。日本では40歳以上では70%以上の感染が認められますが,20歳代では25%ぐらいで大分減ってきていて,若年であるほど感染率が低くなります。これは,日本も含めた先進国で,下水道の整備などによって衛生環境が良くなったことが理由だと思います。
杉町
20代でも25%,4人に1人がこの菌を持っているわけですね。
そうですね。
杉町
この菌は自然に消えることもありますか。
基本的には消えることはないようです。死ぬまでずっと持ったままだと思います。
杉町
このピロリ菌に感染すると,どれぐらいの人が胃癌になるのでしょうか。
非感染者に比べると,胃癌発生のリスクが4倍以上高まると言われています。さらに,先ほど萎縮性胃炎と胃癌の関係を話しましたが,ピロリ菌がいて粘膜の萎縮があると,ピロリ菌もいない,萎縮もない人に比べて,最大で10倍ぐらいはリスクが高まると言われています。ただ,萎縮性胃炎の人は世の中に結構多くて,心配ですけれども,実際発癌するのは,その中の1%未満とも3%とも言われていて,大部分は胃癌にはならないけど,ほかの萎縮がない人に比べると発生率が高いということになるかと思います。今は簡単な方法で除菌が可能になっていますので,ぜひ検査を受けて,ピロリ陽性の人は除菌を受けてほしいと思います。
杉町
具体的にピロリ菌の除菌というのはどうすればいいのですか。
2種類の抗菌薬と胃酸分泌を抑制するプロトンポンプ阻害剤を1週間服用するだけです。これによって大体80%は除菌されるということになっていますけれども,最近はその2つのうちの1つのクラリスロマイシンという抗菌剤が効かない菌が増えてきていて,その効果が70%に低下しているという報告もあります。この1回目の除菌療法で除菌できなかった場合は,再び7日間かけて薬を飲む2回目の除菌療法を行います。そのときは,2種類の抗菌薬のうちの1つを変えて除菌をするのですが,ここまで行えば97~98%は除菌できるということのようです。この2次除菌療法までは保険が適用されることになっています。この除菌をしてしまえば,60%の胃癌の予防効果があるとされていますが,高齢になって除菌をすると,その抑制率は20~30%にとどまってしまうということで,除菌をするなら若いほうがいいということのようです。

C型肝炎治療に素晴らしい薬ができましたね

杉町
また話は変わりますけど,最近,C型肝炎治療に素晴らしい薬が出ていますね。
はい。従来は副作用の強いインターフェロンが使われていたのですが,そのインターフェロンを使わない治療薬が次々に開発されてきています。特にソホスブビルという C 型肝炎ウイルスに特異的に作用する薬があるのですが,ウイルスが95~100%いなくなるということが特徴です。このソホスブビルにレディバスビルという,これもウイルスの RNA 複製を阻害する薬ですけれども,この2つを合わせた薬が承認されています。これは12週間飲むだけで持続的なウイルス陰性化率が100%に近かったようで,かつ,重い副作用は少なかったということです。
杉町
100%というのはすごいですね。普通,治療で100%ということはあり得ないですよね。
はい。
杉町
薬が非常に高いという話をよく聞きますけれども,どうでしょうか。
今言った2つの薬も,1錠が4万2,000円だったり,5万4,000円だったりします。ただ,1日1錠の服用で3ヵ月でほぼ完治までいくということになると,それ以降,ずっと慢性肝炎をフォローアップして薬を飲み続けるとか,検査をするとか,肝癌になって治療するとかいうことを考えると,日本の医療費そのものについては許容範囲なのかなと思っています。
杉町
これは保険で使える薬ですか。
はい,そうです。
杉町
C型肝炎が治ってしまうと,それが原因でできてくる肝細胞癌も減ってくるでしょうね。
そうですね。まず大部分,輸血でうつる肝炎ですから,その輸血でチェックをされるようになると,輸血で感染する人そのものが少なくなります。かつ,感染している人もこの薬でよくなるということになると,肝炎ウイルスが原因の肝癌はどんどん減り続けることになると思いますし,いずれ撲滅されると思います。
 ただ一方では,最近,NASHと呼ばれる,ウイルス肝炎ではない,非アルコール性の脂肪肝炎というものがあって,それをベースとした肝細胞癌が増えてきています。この場合は,症状がなくて,ウイルス肝炎でフォローもされていないので,進行癌で見つかる症例の割合が九州がんセンターでも増えてきています。
杉町
ところで,肝細胞癌ではなくて,もう一つの肝内胆管癌はどうでしょうか。
肝内胆管癌では,持続感染は関係していないようです。一方,2012年に大阪市のオフセット印刷会社に多発したことで注目されました。
杉町
これは有名な話ですよね。
そうですね。この原因を調べてみますと,インク洗浄剤の中のジクロロプロパン,ジクロロメタンという化学物質が原因だと指摘されていて,WHO でも胆管癌の原因の一つに挙げています。ただ,注意が必要なのは,問題となったのはこの会社だけで,全てのオフセット印刷会社で起こっていることではない。それがちょっと不思議なところで,曝露しないようにきちんと気をつけているのかもしれません。
杉町
そこだけ曝露されたのでしょうかね。怖いですね。
 肝内胆管癌は,今おっしゃったように,化学物質による炎症が原因になるのでしょうか。
はい。

慢性炎症はどうして癌になるのでしょうか?

杉町
話を慢性炎症に戻しますけれども,これだけ昔から慢性炎症と発癌との関係が論じられながら,そのメカニズムがなかなかはっきりしなかったのはどうしてでしょうか。
慢性炎症の組織には,免疫細胞の浸潤,繊維芽細胞の増殖,血管新生が見られますが,これは癌の微小環境ととてもよく似ています。このようなことから,慢性炎症と発癌との関連性が古くから言われていたのだと思います。ただ,疫学的に関係があっても,実験病理学的に人工癌が作られたといっても,そのメカニズムが明らかにならないと予防や治療につながらない。昔はその方法論がなくて,それ以上の研究が進まなかったのだと思います。1980年代になって,分子生物学とか,それに基づく細胞生物学の技術が発展して,癌の研究の分野と炎症の研究の分野の両方に取り入れられることになって,かつ,インターネットの進歩に伴ってそれら双方の情報収集が容易になってきたことが,急激な進歩をもたらすことに大きな影響を持っていたと思います。
杉町
発癌の原因というのは,そうなかなか単純ではないようですね。
そのとおりです。発癌のメカニズムはものすごく複雑ですけれども,そもそも生理学的なメカニズムそのものが相当複雑です。それが生命の神秘とも言えると思いますが,最近,全てのゲノム,遺伝子の情報の塩基配列が簡単にわかるようになって,かつ,全ての遺伝子のアミノ酸配列がわかるようになっても,その発現様式とか全ての分子の相互作用など,まだまだ不明な点が多くあります。それに輪をかけて,全てのステップの異常が細胞癌化にかかわる可能性があります。
 我々がやっている研究の多くは,例えば真っ暗なトンネルの中に豆電球をぽつぽつと灯して明るくしていっているようなものなのかなと思います。でも,時には大きな電球を灯す研究もありますし,それらを蓄積していくことでトンネル全体が見えるようになる,ずっと向こうのトンネルの出口が見えてくるのかと思います。その明かりは,癌研究の分野の人が灯すこともあるし,炎症研究の人が灯すこともあるかと思います。ですから,いろんな分野,領域の研究にも常にアンテナを張って多くの明かりを集中させることが,トンネルを明るくする進歩のスピードを速めるのかなと思っています。
杉町
発癌の機構というのは非常に難しいのでしょうけれども,私たちにもわかるように少し簡単に,説明していただけますか。
とても難しいご質問ですが,癌化が遺伝子の病気だというのは,今はもう皆さんが認識していることだと思います。その発癌にかかわる遺伝子を機能別に大きく分けますと,癌を促進する癌遺伝子,癌の増殖を抑制する癌抑制遺伝子,細胞が死んでいくのを司るアポトーシス関連遺伝子,傷付いた DNAを修理する DNA 修復遺伝子が主要メンバーだと思います。
 ただ,これらの一つ一つの遺伝子の異常ということだけではなくて,遺伝子の異常の様式に基づいてグループ分けをしますと,DNA 配列の変異を伴う異常をジェネティックな異常,遺伝子配列には異常がないのに,その発現量が増えたり減ったりすることを司るようなメカニズムもあって,それの異常をエピジェネティックな異常といいます。ジェネティックな異常には,点突然変異,増幅,染色体転座などがあり,エピジェネティックな異常には,DNA メチル化,ヒストンアセチル化・脱アセチル化などのクロマチンの修飾,microRNA による遺伝子の発現調節などがあります。
 さらに厄介なのは,ジェネティックな異常とエピジェネティックな異常が,クロストークといいますけれども,相互に関連し合っていて,それが癌の種類によって一つ一つ違っていて,この癌はこのメカニズムで決まりといったことがなかなかわからないのが現状です。多分,癌細胞もすごく賢くて,そもそもこれで決まりというようなメカニズムを呈していないのかなと思っております(図2)。
Toh et al. Esophagus (2014)
図2
杉町
何か複雑ですね。
全然わかりやすくなくてすみません。
杉町
私が前から非常にシンプルに考えているのは,我々の体の細胞というのは,常に死んで,新しい細胞ができています。細胞が1個死んでも全く同じ細胞ができてくるのですが,慢性の炎症があったら,同じ細胞ではなくて,似た細胞だけれども,遺伝子の中のどこかちょっとしたところが違ったものができやすい。その違った遺伝子の細胞はほとんど死んでしまうけれども,中には生き残るのがいて,それが癌になると,こういうような考えは間違いでしょうか。
それは間違いではないと思います。細胞が壊れてまた新しく生まれるとき,何遍も何遍も同じことを繰り返していたら,たまに修復を間違う細胞が出てくるのは当然です。その間違ったものの大部分は修理されるのですが,修理が追いつかないぐらい炎症が強かったり壊れる頻度が高かったら,やはり壊れた遺伝子がそのまま残る可能性があるということです。ただ,そこだけで癌化が完成するわけではなくて,それにプラスアルファがあって初めて癌になってしまうということのようです。

癌患者のどれくらいが慢性炎症に起因しているのでしょうか?

杉町
癌の原因はいろいろありますが,慢性炎症が原因の癌は,癌全体のどれぐらいなのでしょうか。
ちょっと古いデータですけれども,イギリスの Doll とPeto が1981年にアメリカ人の癌患者でその原因を推測しています。第1位は食生活35%,第2位はたばこ30%,第3位は感染10%,その他,性行為7%,職業4%,飲酒3%,自然放射線や紫外線3%,大気や水質などの汚染2%などと報告しています。この中でいえば,喫煙,飲酒,放射線なども炎症とは無関係ではありません。炎症全体を測定するのは非常に難しいのですが,2001年の Lancet,2003年の Nature に“ Inflammation and Cancer”というタイトルの論文があって,そこではヒト癌の15~20%が慢性炎症に由来すると報告されていました。
杉町
我々にできる予防は,この1位,2位,3位,と言われるリスクを避けることですね。例えばたばこを吸わないとか,感染した場合にできるだけ早く炎症を治してしまうとか,できるだけ癌になりやすい行為は避けなくてはいけないわけですよね。
そうだと思います。国立がん研究センターが「がんを防ぐための12か条」を出していますけど,たばこは吸うな,酒はほどほど,運動しなさい,痩せ過ぎても太り過ぎてもいけない,野菜を食べなさい等々,それをやったら絶対に健康になるという感じの12か条ですけどね。
図3
杉町
図3に示していますが慢性炎症があると,癌だけではなく,リュウマチ,免疫疾患,心臓病,脳卒中,メタボなどになりやすいと言われています。慢性炎症は,特に年をとってくると,ばかにならないこわい病気ですね。
そうですね。今言われた全ての病気が慢性炎症とかかわりがあるということですので,本当にばかにならないと思います。その慢性炎症のメカニズムを明らかにすることが,癌のメカニズムを明らかにするだけではなくて,種々の病態のメカニズムの解明につながると期待されると思います。それぞれの領域の研究成果をすぐほかの領域へ応用することが可能な時代になっていますので,生理学的な研究も含めて,そういうことを一つにまとめて判断していくことが,疾患の克服の第一歩になるのではないかと思います。
杉町
まだまだお聞きしたいことがたくさんありますけれども,これで一応,本日の対談を閉じさせていただきます。
 本日は,いろいろと面白い話を聞かせていただきましてありがとうございました。九州がんセンターのますますのご発展と,お忙しいでしょうが,藤先生のますますのご健勝をお祈りいたします。

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