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対談

九州大学久保総長が聞く‼(第9回)

語る人

福岡赤十字病院長
寺坂 禮治

聞く人

遠賀中間医師会おんが病院・
おかがき病院統括院長
「臨牀と研究」編集委員
杉町 圭蔵

杉町
寺坂先生におかれましては,本日は,何かとお忙しい中,『臨牀と研究』の対談においでいただき,ありがとうございました。
寺坂
こちらこそありがとうございました。まさかこの日に,大先輩である杉町先生との対談とは予想だにしておりませんでしたので,楽しみにしております。
杉町
この『臨牀と研究』は,96年の歴史がありまして,我が国でも最も古いというか,よく読まれている雑誌で,現在は九大総長の久保千春先生が編集委員長をなさっております。
寺坂
私も,学生のころから親しんだ雑誌のデザインですし,病院には定期的に送られてきますので,特集記事を時々読ませていただいております。現役を離れておりますけれども,書いてある説明がわかりやすくて,非常にいい雑誌だと思っております。

昭和50年卒業の同級生には・・・

写真1 LSB408,右端が筆者
杉町
ところで,先生は,昭和50年に九大医学部をご卒業になっておりますので,九大病院長をなさっていた眼科の石橋先生や心臓外科の富永先生とご同級ですね。
寺坂
石橋先生とは外部の委員会とか会議でしばしば同席しております。つい先日も石橋先生から患者さんを一人紹介していただきましたが,そういう仲です。富永先生は,富永のTと寺坂のTが同じですから,学生のころ6年間,本当に密着した生活を送ってきました。心臓外科,一外科という関係でもあり,いまだに仲良くやっております。
杉町
50年卒のクラス会はやっていますか。
寺坂
現役のときは,さすがに皆さん忙しくてできなかったのですが,卒後40年を経過したところで第1回をやりまして,その後1回やって,来年,第3回目を計画しているところです。
杉町
出席率はどうですか。
寺坂
人数にして半分ぐらいです。
杉町
40年たって半分だったらいいほうですね。先生は,大学時代にはクラブで何かなさっていましたか。
寺坂
文科系のクラブで,全学の軽音楽部に入っていました。その中に,ジャズのフルバンドと数名でやるジャズバンド,それと,当時はまだ珍しかったのですが,私が入部したエレキバンドがありました。特にエレキバンドは,その当時盛んだったダンスパーティーに出ていました。
杉町
ダンスパーティーでアルバイトをされていたわけですね。
寺坂
私はエレキバンドでベースギターを弾いておりました。卒業後,当時の仲間は,東京,大阪,福岡に散っておりましたけれども,10年ぐらい前から2,3ヵ月に1回福岡に集まって,バンド活動を再開しております。最近は,年に1回は必ず福岡でライブをやっております。
杉町
すごいですね。会場はどこですか。
寺坂
中洲のゲイツビル,昔,玉屋があったところ,あそこの7階に150名ぐらい入るところがあって,そこで年に1回やっています。
杉町
それは有料ですか。
寺坂
はい。ただ,有料とはいっても黒字にはなりません。赤字の興行ですけれども,聴いていただけるだけでもありがたいと思ってやっております。
杉町
お客さんも若い世代ではなくて,ある程度の人が多いのではないですか。
寺坂
60歳以上です。

東筑高校のご出身ですね

杉町
しかし,そういうご趣味があっていいですね。先生は,たしか八幡の東筑高校のご出身ですね。もともとお住まいは北九州市ですか。
寺坂
そうです。実家は八幡西区です。
杉町
私は今,遠賀中間医師会の病院に勤めていますが,東筑高校というのは地元でも有名というか,入学するのは非常に難しいようですね。
寺坂
質実剛健という高校でした。あそこら辺は全部校区でしたから,遠賀と中間には当時の友達が何人もおります。
杉町
この前,東筑高校は甲子園に行きましたね。
寺坂
ええ,行きました。野球では時々出場しています。
杉町
現在,神戸大学の外科の教授をされている掛地先生も東筑高校出身ですけど,あの先生は随分若いから,あまり交流はなかったでしょうね。
寺坂
ところが,以前,卒業生は,二外科と一外科で半年ずつぐらい交換していまして,私がちょうど大学にいるころに,掛地君が卒業して1年目,一外科に半年間来まして,仲良くしました。だから,掛地先生はよく知っています。
杉町
私も入局してすぐのときに二外科から一外科に行きまして,三宅先生に教えていただいたことがあります。もう随分昔のことですけどね。先生が卒業されたときは,第一外科は中山文夫先生が教授でしたか。
寺坂
はい。

なぜ第一外科を選ばれたのですか?

杉町
ちょうど教授になられたばかりでしたか。
寺坂
着任された年です。ただ,私は当時,前任の西村先生の授業を受けていましたので,中山先生の人格はあまり知りませんでした。第一外科に入局した理由は別に何もなくて,二より一がいいかなというぐらいの感覚でした。
杉町
残念ですね,一より二が良かったら二外科に入っていただいたんでしょうけど。研究室はどういうところでしたか。
寺坂
まず免疫生物学の基礎研究をやりました。当時,免疫学が勃興した時期でしたので,野本亀久雄先生の研究室に若い人が大勢集まって,大学院で4年間,楽しく研究できました。
杉町
野本先生の研究室はユニークですね。
寺坂
はい。放任主義でしたが,あそこでは,みんな若く,切磋琢磨して,基礎の英文のペーパーを4,5本書くことが出来ました。
杉町
野本教室からは基礎の教授が全国にたくさん出ていますね。ところで,外科医としてのトレーニングはどこで受けましたか。
寺坂
基本は,大学ですが,現場としては,九州厚生年金病院と愛媛県立中央病院が一番印象に残っております。赤十字病院に来る前は,小倉北区の国家公務員共済組合連合会新小倉病院に15年勤めました。そこでは主に独学で,いろんなところに行って勉強しました。

福岡赤十字病院は如何ですか?

写真2 新・福岡赤十字病院
杉町
福岡赤十字病院に赴任されてから何年ぐらいになりますか。
寺坂
今14年たったところです。あと1年で定年になります。
杉町
定年は何歳ですか。
寺坂
70歳です。
杉町
私が外から見ていますと,赤十字病院は,先生が院長になられてから随分活性化されて,建物も新しくなっていますし,すごいですね。
寺坂
前任の病院も古かったので,新築しようと思って大分頑張ったのですが,できませんでした。でも,14年前,福岡赤十字病院に来たところ,それに輪をかけて古い病院でした。それで,もう55歳でしたから人生最後の仕事になるかという気持ちで,病院の新築に力を尽くしました。
杉町
あれだけ大きな病院ですから,その建て替えには時間や費用も随分かかったのでしょうね。
寺坂
そうですね。将来構想の文書作りからスタートしたのですが,足かけ8年かかりました。費用は,大事なところにはお金をかけて,外観その他にはあまりお金をかけない,できるだけシンプルに建てるという方針で,設計者とよく話して,150億円ぐらいでできました。
杉町
赤十字病院の場合は,本部のほうからかなり援助金が来るでしょう。
寺坂
本部から借りたのは15億円です。
杉町
補助してもらえるのではないですか。
寺坂
もらえません。ですから,かなりの借金をしていますので,頑張らないといけないのです。
杉町
本部は出してくれないのですか。
寺坂
本部から借りることは出来ますが,いただくことはありません。
杉町
しかし,福岡赤十字病院は場所が最高というか,すごくいいところにありますし,赤十字というブランドもありますから,患者さんは非常に多いようですね。ほかの病院は経営に四苦八苦しているところで,赤十字病院のひとり勝ちではないかと思いますが,いかがですか。
寺坂
あの古い病院を建て替えるのに借金を相当しないといけないと思ったのですが,先生が言われるとおり,赤十字病院には,赤十字ブランドと地の利という2つの不動の利点があるので,すごく有利でした。本当にぼろぼろの病院だったのですが,外来には患者さんがいっぱい来られていたんですね。ですから,やっぱりその2つの力というのは強いなと。それが大きなバネになって,思い切って病院の新築に乗り出すことができました。

Doctors as No.1

写真3 医師の早朝連絡会
杉町
先生は,院内向けでしょうけど,‶Doctors as No.1:Lessons for the Hospital”ということをおっしゃっていると聞いたのですが,これはどういうことでしょうか。
寺坂
病院というところでは,医師の数は全職員の1~2割で少数派ですが,病院機能からすれば医師は大黒柱です。すべての医療行為は医師の指示から始まりますし,彼らにはそれだけの資格と能力があります。従ってこの言葉には,医師団に,ぜひ病院にとって一番の存在となり,病院に教えと導きを与えてほしいという私の期待と願望を込めています。そのための仕掛けとして,毎朝10分間の医師のための早朝連絡会で,当直時間帯の出来事の報告から始まり,医療安全情報,院内の最新情報などを伝達しています。これにより今院内では,医師が情報の中心となり,これまでとは逆に医師から職員に最新情報が伝わるという状況にもなっています。まさに医師がNo.1の存在です。この言葉自体は,エズラ・ヴォーゲルの“Japan as No.1:Lessons for America"をもじったものです。
杉町
先生は医師を非常に大切にされていらっしゃるから,病院が元気になるのでしょうね。
寺坂
それまでの経験で自分自身も反省しているのですが,医師というのは意外に,病院の中にいながら,病院組織とは反対を向いていることが多い。ですから,とにかく医師が病院のほうを向くという方向転換をする。そのために,朝一番,新しい情報を先生方に伝えますというようなこちらからの呼びかけで,病院に引きつけるという意味でやっています。
杉町
医師は,病院の経営のことをあまり考えないで,勝手なことを言う人がいるので,それは大事なことでしょうね。それから,赤十字病院では,博愛,奉仕,平等ということを言われているようですが,福岡赤十字病院でもこういうことをおっしゃっているんですか。
寺坂
はい。そういう意味で,赤十字というのは非常に楽ですね。国際赤十字には,組織の行動規範というか,基本7原則というものがあります。これはスイス・ジュネーブの赤十字本部で宣言されたのですが,人道,公平,中立,独立,奉仕,単一,世界性という7つの原則がありまして,その原則に従って行動しなさいという教科書みたいなものがあります。ですから,それをしっかり守っていく。ただし,奉仕と独立についてはどうかなと思っています。日本の病院では,やっぱり医療は飯の糧ですから,奉仕ということで言い切ることはできない,あるいは,診療報酬のルールがありますから,全く独立しての行動はできないわけです。ただ,そこら辺はさっぴいても,あと残りの5原則に従って頑張ろうというスローガンがありますので,非常にやりやすかったですね。
杉町
日本赤十字社というのは1887年に設立されたと聞いていますけど,随分古いんですね。
寺坂
そうですね,130年を超える歴史があります。
杉町
この赤十字のマークは非常にユニークというか,世界的に有名ですけど,スイス人で,第1回ノーベル平和賞を受賞されたアンリ・デュナンさんが,人の命を尊重し,苦しみの中にいる者は,敵味方なく救うということを意味して作られたということですね。
寺坂
そうです。ただ,赤十字・赤新月社は世界191ヵ国にあるのですが,中にはイスラム系の国もあるわけですね。イスラム系の方は十字架のクロスを嫌うので,赤十字は使っていない,三日月のようなマークを使っています。そういう違いはあるのですが,先ほど言いました7原則のうち,世界性の英訳は,international ではなくて,universality です。つまり,赤十字が対象とするものは「人」であり,国や人種の差別はないし,いわんや傷ついた後は敵味方なく救う。赤十字が行う医療活動は「人」を相手の仕事であると,そういうところが脈々と息づいています。
杉町
赤十字の世界大会もありますか?
寺坂
世界大会まではないですね。東京本社の代表がスイスに集うことは年に何回かあります。

災害派遣への準備

杉町
ちょっと話は飛ぶのですが,最近,東日本大震災,熊本地震,西日本豪雨など,大規模な自然災害が起こっていますが,赤十字病院では災害に備えて,常にドクターや看護師などを派遣できるように準備されているのですか。
寺坂
そうですね。日本赤十字社法という法律があって,その法律の中で,災害医療は赤十字病院の業務であると。災害が起これば病院業務として出動しないといけないということで,日常から病院の中に12の医療救護班を作って,月当番制にしています。また,災害対応の訓練をしばしば,いろんな形でやっています。
杉町
1チーム何人で編成されていますか。
寺坂
医師1名,看護師3名,事務職員2名,あとは薬剤師等です。基本は1・3・2の6名です。
杉町
海外にも救護班を派遣していらっしゃるようですが,国内と国外に年間で何回ぐらい派遣されていますか。
寺坂
これは海外のいろんな状況によりますが,昨年の1月からは,バングラデシュに看護師3名と私自身も行ってきました。あと,南スーダンの紛争地。また,今はアフガニスタンに看護師が行っています。誰も出ていない時期もあるのですが,主に途上国や紛争地に頻繁に出ています。
杉町
病院の経済的負担も随分大きいですよね。
寺坂
これに関しては,病院ではなくて,日本赤十字社に対する募金がありますので,それを原資にして,災害医療も国際医療救援も訓練をし,実際に派遣しています。
杉町
病院の中に,災害時の緊急の食料や水といったものを準備されているのですか。
寺坂
はい,大きい倉庫を別に作って備蓄しています。
杉町
そこから持ち出すわけですね。
寺坂
そうですね。災害医療救護では,自己完結で,向こうのお世話にならない。寝るところがなければテントを持っていく。東日本大震災のときはそうだったんですね。全部,自分の資材を持っていきました。

深刻な外科医不足

杉町
また話は変わりますけど,最近,外科希望者がだんだん減ってきているようですから,早くどうにかしないと,いろいろと困った問題になりますね。
寺坂
私たちのころは,土曜,日曜に出て行って診るのは当たり前でしたが,どうも最近の若い先生方は「きつい」診療科を敬遠する傾向がありますね。だから,私たちの義務としては,お金のことだけではなくて,人格の形成というか,いかに外科医が医療の世界で期待されているかといった教育をしっかりやらないといけないと思います。私の経験からすると,外科医は病院機能の最後の砦だと思っています。だから,外科医には,「あなた方は病院の中で最後の砦としての機能を期待されている」と語りかけることで,自信を持ってもらうようにしています。
杉町
先日の新聞には,外科医は5,000人ぐらい不足すると書いてありましたけど,外科医を増やすための名案は何かないですか。
寺坂
なかなかないと思います。一つは,外科医は手術をしますから,いろいろと社会的に厳しい目で見られる。すなわち,事故があったら,クレームになったり裁判ざたになったりということが多いので,それについては,病院が外科医をガードする役目を果たすことが非常に大事だと思います。一概に給料を上げるとか,経済的なものを優遇しても,早々には増えないでしょうし,私たちが安易にそういう道を選んではいけないと思います。
杉町
私も,病院で見ていますと,外科医はよく働いていますね。当然といえば当然ですけど,金曜日に手術をしたら,土曜日や日曜日を休みにできません。土曜も日曜も出てくるし,本当に頭が下がります。第一外科,臨床・腫瘍外科の教室は,中村教授になってから入局者が随分増えているようですね。
寺坂
私も中村教授のことをよく,「心技体そろった人間です」ということで紹介しているのですが,本当に気持ちがタフですし,熱心ですし,体力もあります。外科医としては珍しいのですが,若いころハーバード大学に行って,一流の科学雑誌に3,4本英語のペーパーを書いたぐらい基礎医学に対する研究心も強いですね。
杉町
お人柄が非常にいいし,患者さんをよく診られますね。私は,膵臓癌など難しい症例は,中村先生に電話して,診てくださいと頼むんですよ。そうすると,外来で彼が自分で診ていただいて,自分で手術されるんです。立派な方ですね。ところで,先生のご趣味はバンドだけですか。
寺坂
趣味はそのほかにもいろいろとあるのですが,プラモデル工作とかですね。
杉町
何を作るのですか。
寺坂
飛行機です。これはかなり根を詰めてやらないといけないし,時間が必要です。バンドの練習もあるから時間がなかなかとれないのですが,基本的には,道具は全ていつでも使えるように準備しています。
杉町
プラモデルだったら,一人でこつこつできるからいいですよね。ほかの人に迷惑をかけないから。
寺坂
あと運動は,テニスを55歳までやったのですが,ちょっと怪我をしてできなくなりました。基本的には,運動は大好きです。
杉町
バンドの練習を家でがんがんやっていると,奥さんから,うるさいと言われませんか。
寺坂
家内と一緒にやっているんですよ。
杉町
奥さんはボーカルですか。
寺坂
ボーカルとギターをやっています。
杉町
それならいいですね。30~40年前の曲だけではなく新しい曲も取り入れるのですか。
寺坂
ライブでは全部で30曲近くやるので,毎年必ず10曲ぐらいを入れかえて,新曲をやります。
杉町
すごいですね。そうしたら迫力も出ますね。最後に,抱負をお聞かせいただけますか。
寺坂
赤十字病院に関しては,建物が新しくなったからソフトも改革しようということで,やめていた病院機能評価を新たに受けて,DPCⅡ群病院にも昇格しましたし,今は外国人が多くなりましたので,外国人受け入れのためのJMIPの認定も受けることができました。そこら辺で,自分の任期中の仕事は大体終わったかなと思っています。また,この4月から1年間,全国の赤十字病院の院長連盟の会長になることになりましたので,何か1年間でできることぐらいは全うしたいと思っています。
杉町
本日は面白い話をたくさん聞かせていただいて,本当にありがとうございました。赤十字病院のますますのご発展と先生のご健勝をお祈りいたしまして,この対談を閉じさせていただきたいと思います。

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