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対談

対談 九州大学久保総長が聞く‼(第7回)

語る人

九州大学理事・副学長
若山 正人

聞く人

九州大学総長
「臨牀と研究」編集委員
久保 千春

久保
総長が聞く!!というこの対談は,今回で第7回目になります。
 本日は,九州大学の理事・副学長である若山正人先生にお話を伺いたいと思います。先生は,数学を専門にしておられます。

自己紹介:数学に進む経歴

久保
まず最初に,若山先生の自己紹介をお願いできればと思います。
若山
私の専門は整数論と表現論です。表現論というのは,対称性を記述する学問です。最初の発端は,フランスのガロアという数学者がいまして,群論というのを始めた。ちなみに,彼は20歳のとき決闘で亡くなりました。私自身は数学に目覚めるのも遅く違うのですが,それに憧れて数学者になった人は世界にはたくさんいます。
 それまでは,方程式が与えられると,1次方程式,2次方程式── 2次方程式の根の公式というのは皆さん学校で習うのですが,3次方程式も4次方程式も根の公式というのがある。四則の掛け算,割り算,足し算,引き算,それからルートの開平で根が求まる。5次以上も皆さんずっとやっていたのですが,例外的なものを除いて解けないわけです。
 それで,ガロアともう一人,アベルという薄幸なノルウェーの青年がいるのですが,要するに,5次以上の方程式には根の公式は存在しないことを証明するという,数学らしい── 現代数学の始まりですね,そういうことをやったわけです。
 整数論はもちろん古くて,一番有名なのはピタゴラスの時代です。ピタゴラスの学校では,素数が無限個あることを証明して,どんな整数も一意的に素因数分解ができることを証明したわけです。それが,2,500年たった今,日常生活において使われている暗号の8割以上を占めているRSA 暗号のもとになった。
久保
ピタゴラスはいつごろですか。
若山
2,500年前ですから,紀元前500年ぐらいです。彼は,「万物は数である」ということを言っていた人です。だから,数学者とも言えるし,宗教家とも言える。
久保
素因数分解というのはピタゴラスのころからですか。
若山
そうです。ただ,大事なことは,そのときに応用があったわけではない。でも,今や我々のセキュリティーの世界はそれに頼っているわけですから,そういう意味では,やっぱり5年10年先を見る研究だけをやっていては,到底大きな発見はないという一例です。
久保
先生はそれで数学を志したということになるわけですか。
若山
私は変な数学者で,数学を志したのは随分後です。私の友人たちとか,一緒に論文を書いている何人かの友達というのは,小学校の高学年,遅くても高等学校2年くらいには大学の教養課程で学ぶ数学を終えている。教科書があるような,すでに出来上った数学であれば,書物で勉強すればいいだけなので,学校は必要ない,そういう世界です。昔,よくできた学生は,大学に来ても講義には出ない。演習のときだけ来て,ササッと解いて帰る,それがかっこよかったわけです。
久保
そうしますと,先生が数学に進まれたのはいつぐらいからですか。
若山
実は私,担任の先生の強い勧めもあり文学部を志望していましたが,入れてくれなかった。でも浪人したくなくてですね。数学とか物理は点数がとれたので,私立大学に行こうと。そのときは数学者になろうなんて全然思っていなかった。
久保
先生は東京理科大学の理学部の数学科に進まれましたね。
若山
はい。それで,学校には相変わらず行かなかったけれども,写真部に入っていました。山に登ってお酒を飲んで写真を撮るという,それだけのことですが,スキーで脚を折りまして,やることがなくて数学の勉強をし始めた。そうしたら,面白くて面白くて。それで,ほとんど一人で勉強して,試験のときだけは受けに行くということをやっていました。
久保
その後は数学を専門にしようと。
若山
はい,思いました。
久保
そして,大学を卒業された後に広島のほうに行かれたのはどういう経緯ですか。
若山
実は,理科大の先生から来いと言われて何も考えずに大学院に入ったのですが,たくさん指導される先生で,あまり指導されたくない私としては大学に行きたくなくなって,やめてしまった。その後,そのとき東大におられた杉浦光夫先生に,お会いしたこともなかったのですが,7枚ぐらいの手紙を書いた。そうしたら,すぐにいらっしゃいとお返事を下さって。その後,土曜日のセミナーで1年近く個人的に面倒を見ていただいた。それで東大の大学院を受けたのですが,なかなかしんどくて,1次試験が220~230人で,2次試験のときには20人ぐらいになっていました。結局入れなくて。それで,杉浦先生からはもう一年やりますかと尋ねられましたが,いや,結婚しようと思っていますので,あまり遅れたくないと。
 表現論と整数論の交わる研究をやりたいとお伝えしたら,そのときできたのは東大と京大と広大しかありませんでした。うかつにも東大に入れるだろうと思っていたので他に願書を出していなかったのです。広島大学は── これはちょっとオフレコかもしれませんけど,落ち穂拾いというのをやっていまして,── ほかの大学の入試は,ほとんどが8月,9月だったのですが,あえて11月に試験をやっていた。それで,自分のしたい研究にぴったりだということで広島大学に行きました。結局6人が修士課程に入ったのですが,広島大学の人はおりませんでした。
 数学では,新しいことが得られても,欠して「発明」とは言わない,「発見」と言う。定理は発見するものというわけです。いろんな考え方がありますが,例えば,夏目漱石の『夢十夜』の第六夜に仏師運慶の話がありますね。運慶は素晴らしい仏像を彫るとみんな思っているけど,実はそうではなくて,木の中にもともと埋まっているものを彫り出しているだけなんだという話です。数学もそういうもので,もともとあるものを見つけただけなんだと,そういう考え方です。
久保
なるほど,それで「発見」ということですね。
若山
だから,数学というのは,別の言い方をするとプラトン主義みたいで,人間の考えとは独立にあるんだという考え方。実験科学に近いようなところもあると思います。
久保
そして,広島の修士を出られた後は博士に行かれたのですか。
若山
はい。
久保
そして,博士を取った後は。
若山
私立大学に2年半,それから鳥取大学に5年いて,九州大学には1994年からです。実は,お義父さんの調子が悪くて,家内が東京に帰りたそうでしたので,私も東京がいいかなと思って,東京の国立大学の公募に応募していました。ところが最後の理学部教授会での審議が夏休み中で残っていたときに九大から突然電話を頂きました。突然の電話です。しかも私には1度だけで,家内には理学部数学科の4人の教授からの電話でした。私は迷いましたが,彼女はここまで言って下さっているのだから,もう東京に行かなくてもいいわということになって,九州に来ました。
久保
それから現在まで九州大学ということですね。
若山
はい,そうです。

マス・フォア・インダストリ研究所

久保
先生は数学科の教授でしたが,今,九州大学の一つの目玉としてマス・フォア・インダストリ研究所がありますね。これができた経緯と先生とのかかわりについて話していただけますか。
若山
研究所ができる前,12年前くらいから4年間,私は数理学研究院長の職にありました。その頃は,大学院博士課程の充足率が悪過ぎるというので,大学からはお叱りを受けるし,文科省に行ったら冷たいことを言われる。ちょっと教員が多過ぎるんじゃないかなど,執行部からはかなり厳しい批判と改善勧告を受けていました。
 どうすればよいのかと悩みました。その頃は,数学で博士に進学するということは,大学の教員以外の職を考えないということを意味していました。したがって,私も含め教員たちの意識としては,どうせ職がないのに進学させてどうするんだと。私も若いころは良くできる学生は東大とか海外の大学院に行かせようと思っていました。しかし,そんなことをしていると九大に優秀な学生が残らない。それはまずい,やっぱり残そう,いい学生を育てようと。
 しかし,今はポスドク職が別に多くありますけれども,1年間に募集がある助教のポストは全国で25ぐらいです。昔とほぼかわりません。ところが,私たちの頃は博士号を取る大学院生が全国合わせてもせいぜい50名ぐらいでした。今は毎年200名以上が数学で学位を取る。明らかに,大学だけでは就職は望めません。ところがアメリカを見ていると,グーグルやマイクロソフトとか,さらにはディズニーだって数学の博士号を持った人が沢山います。だから,これを目指せばいいんだと思った。それが一つの動機です。
 さらに,コンピューターが格段に発達して,それまでに意識されてこなかったような数理的問題が数学の外の世界からあらわれるようになってきたわけです。19世紀には物理から数学の問題がたくさん生まれてきていたわけですが,それと同じことが21世紀にも起こるだろうと確信しました。実際,アメリカで起きていることは,日本でも起きるだろうと思いました。ただし,先生である私たち,いわゆる純粋数学者が,応用も絶対に素晴らしいと言ったところで学生は信じないわけです。やっぱりみずからが数学の応用実践に本気にならないと通じません。申請書に,すでにそのような目的の研究所を設立すると明記したグローバルCOE プログラムに採択されるという好運もあり,そのときにもう研究所を建てると宣言して,それでマス・フォア・インダストリ研究所を建てました。
久保
産業のための数学ですね。そういう研究所ができたのは,日本で最初ですね。
若山
はい。最初は日本語で産業数学と称するつもりだったのですが,どうも産業数学と言うと油まみれの感じがします。そこで片仮名にしたら,当時の梶山総長に,若山さん,それは工場で大量生産でもする研究所かと言われて,ウーン困ったなぁと思いましたが,まずは学内の研究所としてめでたく立ち上がりました。その後,文部科学省の共共拠点(共同利用・共同研究拠点)に指定され,今もすごく頑張っています。
久保
先生はその後そこで所長をしてこられて,平成26年(2014年)から九州大学の理事・副学長になって,研究と産学連携の担当ということで現在に至っているということですね。
若山
はい,そうです。

数学とAI(人工知能)

久保
今,数学とAI(人工知能)のことがよく言われています。それについて,数学の立場から,先生の考えておられることをお聞きできればと思います。
若山
私の広島大学での指導教員であった岡本清郷先生は,表現論の大予想とその解法に名を残す有名な数学者でしたが,碁には気違いみたいに打ち込んだ方でした。私も碁で捕まって,君,碁で学位を取らないかと。実は,そのころバークレーでは,ヨセの数学研究で学位を取った人が1人か2人出ていました。まだヨセだけでしたので,より深い碁の数学研究を開拓させ学生に学位を取らせたいという意志を持っておられた。碁だけでなく,岡本先生とは,麻雀も随分やりましたけど,まさか碁で学位を取るために広島に来たんじゃないとお断りしました。しかしそれ以来,碁と数学というのは少し気にかかっていました。
 その後,チェスではコンピューターが勝つようになりました。ただし,駒の再利用ができる将棋だと難しい,ましてや碁なんて無理だと考えられていました。しかし素朴に考えて,間違いを少々許容するようなコンピューター(アルゴリズム)ができたら,コンピューターのほうが人間より強くなるのではないかと私は思っていました。実際,AI搭載のアルファ碁は,ついに人間に勝ったわけですけど,私はそんなに感動しませんでした。AIは統計学・確率論を使っているわけですから当然そういう時が来るだろうと。
 つまり,人間だったら,あまり突拍子もないところに打ったりしないわけです。しかし,昔のコンピューターは全部数えていたわけです。そんなことをやっていると,高性能コンピュータを使ってもすぐに宇宙の年齢,138億歳を超えてしまう。だから勝てないわけです。しかし,たとえば棋士が打ってもしようがないというところを同じように避け,限られた範囲だけで計算すれば,格段に性能が良くなったコンピューターは有利です。そうした背景があり,アルファ碁は勝つことができたと思います。
久保
アルファ碁は自己学習しているわけですね。
若山
そうです。
久保
それまでのコンピューターというのは,いろんな場面を打ち込んで記憶させて,その中から選んだわけですね。
若山
はい。
久保
この自己学習はどのようにしてできるわけですか。
若山
それは結局,教師つきであっても教師つきでなくてもそうですけれども,やっぱり良い譜を全部覚えさせる,あらかじめ勉強させるわけです。パターン認識です。それで,統計的にもっともらしいところに打つということをやっているわけです。碁の場合,人間もそれに近いことをやっているわけですね。
 ここは現在のAIの本質的なところだと思うのですが,AIは,言葉の意味は理解していませんし,常識もないわけです。じゃ,それも学習させればいいじゃないかということになります。ある一つのことに関してだけの常識だったら,計算量に問題がなければ学習させることができるわけですけど,どこでその常識を使ったらいいかということになってくると,それを全部覚えさせる,勉強させるだけの計算機能力を人類はまだ持っていません。だから,結局そんなことはできないわけです。
久保
いわゆる人工知能というのは,確率と統計の組み合わせによって判断するわけですよね。
若山
そうですね,統計自身が確率論をベースにしているわけです。統計は,サンプルをたくさんとってきて,確率論をベースとして判断する。そのときに,学習理論というのは先生が今おっしゃったとおりですけれども,要するにディープラーニング,神経細胞のニューラルネットワークを何重にも重ねた―― だからディープと言って九州大学理事・副学長若山正人先生いるのですが,それを走らせるアルゴリズムが何年か前にできたことで,今のAIはたしかに人工知能らしくなった。
久保
そうすると,いろんな場面の学習はしているわけですね。
若山
学習は物すごくしている。
久保
学習することは確率と統計の精度が良くなることですか。
若山
そうですね。今世界中でプロたちが考えているのは,ディープラーニングに依存しないAIができないかと。今のところ全然できていません。例えば,2年前に終わった東ロボくん。
久保
東ロボくんというのは,東大の入試を受けるロボットのことですね。
若山
そうです。あれはAIで東大入試は突破できるかというスローガンでやった。結局,数学とか物理の試験はOK でした。いわゆる本当に知識量だけを聞くようなものだと良くて―― 残念ながら,数学も入学試験においては暗記科目だということが証明されてしまったようなものですね。国語なんかはだめなわけです。長文は理解できない。ただ,これはちょっと問題がありまして,AIも60点ぐらいしか取れなかったけれども,平均点をみると60点以下の学生もたくさんいるということです。つまり,受験生の中には,日本語を理解していない者も多くいるということも証明してしまっているかもしれない。

量子コンピューター

久保
ところで,量子計算機とはどのようなものですか。
若山
現在の,コンピューターというのは,0と1のみの数学,二進法で,スイッチオン,オフとやりますね。そのオン,オフを短時間にどれだけたくさんやるかというところで性能が決まるわけです。ところで量子力学の本質は,たとえば光は重ね合わせができる波であってしかも粒子である,という点ですね。つまり,量子コンピュータでは0と1の中間のあらゆる状態を同時に計算に取り込むわけです。だから,0と1だけではない,あらゆる状態を同時に利用して計算してしまうので,圧倒的にスピードが優れているわけです。ところが,ひとつの大きな問題は,波であって粒子である状態は確かに存在しているけれども,それを長く保つことがとても難しい。今,世界の研究者はそれに励んでいるわけです。それが解決してもノイズに関する数学的問題はのこりますが。
久保
量子コンピューターの開発の話が時々出てきますね。量子コンピューターにするとエネルギーもかなり少なくなるとか言われています。量子コンピューターができる実現可能性はいかがでしょうか。
若山
可能性はもちろんあります。
久保
実現は早いのでしょうか。
若山
いえ,そんなに早くないと思います。量子コンピューターには二通りあって,一つは,先程述べたもともとのゲート式。もう一つは,アニーリングタイプの量子コンピューターと言われていてD-Wave など既に売り出されているものもあります。後者は最適化問題を解くのにはすごく役立ち,日本の企業でも随分と力を入れて同様のものを開発しています。
 ただ,今のアニーリングタイプの量子コンピューターだと素因数分解もできません。最適化問題だけがうまく解ける。それをどうして量子コンピューターと言うかというと,量子力学現象であるトンネル効果を利用していることになっているからです。実際,磁性のモデルのひとつですが,統計力学にイジングモデルというのがあります。最適化問題というのは,大体,条件つき最大最小問題を解くというものですが,それをイジングモデルという物理モデルの基底状態を求めるというのに焼き直します。そして,その焼き直したものを使って物理的に最適化問題を解く。
 良いところは,普通の問題だと最適かどうかわからなくて,高校でもやりましたけど,本当の最小値を見つけるのに,極小値をすべて見つけてもっとも小さいのを選ぶのですね。しかし,一般の最適化の問題だと極小値を求めるのも難しいけれど,たとえそれがわかっても最小かどうかわからないというのが結構多い。山頂から水を流すと,最小のところまで行かないで,くぼみがあったらそこで止まってしまうという感じです。ところがそのコンピューターを使うと,トンネル効果を利用して最小のところに到達してくれるというものです。
久保
量子コンピューターができると,どのように変わりますか。
若山
まず,一瞬にして素因数分解ができてしまいますので,現在のRSA 暗号は一切使えなくなります。実際RSA 暗号の本質は,かけ算は容易だが,大きな数の素因数分解は困難である点を使うことです。大きな数で,その素因数が巨大なものを考えましょう。何も知らない人が,それは素数なのか,はたまた素数でなかったとしたらどう素因数分解したらいいのかということを,現在のコンピューターで計算を試みるとします。ところがその計算に300年かかるなら,生きているうちには答えは得られず暗号としては十分活用できるわけです。ところが,量子コンピューターが稼働して計算スピードが速くなって数分で計算できてしまうと,もう暗号としては役立ちませんね。そういうことからも,米国政府は,去年,量子コンピューターができても安全な暗号研究の推進を正式にうたい,本格的なファンディングを始めました。

AIと医学

久保
そのAI,人工知能と医学との関係について考えられることはありますか。
若山
たくさんあると思うのですが,日本で有名なのは,1年ちょっと前に,東大医科研の宮野さんという九大の数学科出身の先生が,IBM Watson に白血病の患者さんの2,000ほどの論文を学習させた。さすがにお医者さんでも2,000もの論文を全部読むというのはなかなか大変ですが,それはあっという間に読んでしまうわけです。そこからIBM Watson が処方箋を示唆して,そのとおりに治療をしたらたちまち良くなったということです。そういう使い方は多くあり得ます。ただし,2,000もの論文のなかみの研究はAIにはできません。
久保
今でも画像診断や検査値の診断についてはコンピューターが使われていますが,AIを使うと,これをどう解釈して,最終的にどういう治療に持っていったらいいかというところまでできる,確率論的にこの方向がいいのではないかという形はできるわけですよね。
若山
そうですね。AIも,間違わないかというと,間違うことはあります。でも,人間も間違います。どっちが間違いやすいかというと,人間のプロフェッショナルのほうが間違いやすいので,もう画像診断のところまではお医者さんの介入は激減しますね。
久保
心電図なんかはパッと自動読み取りができるようになってきている。それがだんだん画像診断にも応用されています。九大の飯塚君という学生が,病理標本を迅速診断するためにAIを取り込んでやっていこうとする会社を今年の1月に設立したばかりです。このように,診断に関してはコンピューターを用いてかなりやれるようになってきていますね。
若山
そうですね。
久保
これから先は,治療法とか,そういうところまで方針を出すようになるわけですね。
若山
今はお医者さんが,その結果に基づいて判断して,治療法を考えるわけですね。ユニークな特徴が現れる場合もあれば,優先順位もあると思います。そういうデータが積み重なっていくと,AIは学びますので,それと同じことができるようになります。
久保
先ほど,国語の問題を解くのが難しいとか,言葉の意味をあまり理解できないと言われましたね。医学のところでAIができない部分というのはどんなことですか。
若山
例えば,患者さんの症状とかですね。多分,単純なものはデータをいっぱい学べばいいと思うのですが,非常に微妙なところまでは不可能です。それはさっきの常識と同じで,この人が言うことだけを学びなさいといってどんどんどんどん教えれば,今のAIでも結構いいところにいくと思うのですが,どの患者さんがどういう病気を持ってくるかがわからないし,表現も違うかもしれないというものに対しては,意味がわかっているわけではないので,正しい判断が難しいわけです。そういう意味では,お医者さんは,患者さんに近いところにより重点を置く仕事が多くなってくるのではないかと思います。
 一方で,これは空想ですからわかりませんけど,例えば今アシストスーツとかがありますよね,そういうところにも応用できると思います。また認知症では,もともとあった自分の記憶が消えてしまい困ることになる。そこで,一人一人に予めAIをつけておいて,みずからの記憶をいつでも引き出しから出せるようにする。そんな単純なものではないでしょうけど,そのようなアシストの仕方もあり得るのではないかと思います。
久保
そうしますと,今後どういう分野はAIにとってかわられ,AIにはまだできない分野に分けられる。そういう面では,先ほど言われた検査とか画像などの評価・診断については,AIがどんどん発展していくだろうと思われますね。
若山
はい。
久保
あと,いわゆる問診によって,患者さんがどのような気持ちであるかとか,今後の希望は何なのかというのをきちんと知る,そういうところは医師は必要な部分になるわけですね。
若山
そこは今のディープラーニングによるAIでは達成できないと思います。
久保
個別的な心の問題は,まだAIでは難しいわけですね。ただ,うつとか不安症といった診断がついた場合,例えば患者さんの年齢とか生化学的ないろんなデータを入れて,どんな薬がいいだろうかという方向性はある程度できるでしょうね。
若山
それはできるでしょうね。結局,物事が記号化されるとほとんど数学になってしまう。そうすると,AIはのみ込めるわけです。ただし,記号化できないとだめです。ですから,先生のご専門の心療内科で,ずっと腰が痛いけれど,どこも悪くなくて原因がよくわからないとか,そういう症例がごまんと出てきて学ばせればAIにも察しはつくかもしれませんけど,深いところは無理ですね。
久保
例えば総合診療科で,患者さんがいろんな症状を訴えるときに,この症状があればどういう診断が考えられるかとか,こういうのはできるわけですか。
若山
まだかなり難しいのではないかと思います。つまり,少々広くても扱うところが制限されていて,十分なデータがあれば,AIは強いと思います。ただ,何が来るかわからないというのには弱いわけです。

数学と医学

久保
先生は,数学の分野から見て,今後の医師あるいは医学者の育成に関してどんなことを考えられていますか。
若山
日本では特にそうですけど,医学部に入ってくる学生というのは概ね数学がよくできます。一生懸命勉強した賜物です。でも中には,数学者になればいいのにという数学の才能にあふれる人がいる。しかし医学部においては,数学は重きをおかれていませんので,学生がアドバンスな数学を学ぶ機会がありません。
 医学部には病理画像診断ソフトの会社を建てた飯塚君がいますけれども,私は彼の先生の解剖学の三浦教授を以前から存じていました。彼は,京大から着任された明くる日に(マス・フォア・インダストリ研究所長であった)私のところに来られて,‶九大に来ました,数学をよろしくお願いします”と。彼は,数学コミュニティーに長く,深くかかわってきたお医者さんです。だから,解剖学の先生ということですけど,パターン認識を用いた研究など,非常に数学的です。彼みたいな人は特別に素晴しいのですが,ほとんどの医学生は数学の勉強をしなくなってしまう。だから,MD-Ph.D みたいなところで,数学の才能が豊かな人や興味のある人を,もっと活かすようにしたほうがいいと思います。
 何といってもお医者さんは所得が安定しているし,数学者とか物理学者になれるかどうかは,ポストがかなり少ないので当てになりません。そこでお父さん,お母さんも高校の先生も,よくできる子は医学部に行かせる。しかし,教育の仕組を工夫すれば,医学部に行ってもそういう才能が十分発揮できるようになります。
 これまで,ディープラーニングによるAIでできるような話をしてきましたけれど,実はそれを積み重ねていくと,きっとブラックボックスが出てくる。それが出てきたときに,みんな理屈も何もわからなくてやっていると,本当の間違いというのが起こり得ますし,新しい発見を逃すかもしれないわけですね。そういう意味でも,医学部における,数学がもともとよくできる人とか,ある程度興味がある人たちは,そこもうまく育ててお医者さんにしていくのがいいかなと。
久保
数学がよくわかり,数学の才能を生かせるような医師や研究者になってほしいと。
若山
ええ。
久保
あと,今後,数学は医学の中にどんどん応用されていくと思いますが,AI以外では何かありますか。
若山
実は20世紀の数学というのは世の中ではまだあまり使われていない。この10年ぐらいトポロジーという……。
久保
名前は聞いたことがありますが,何でしょうか。
若山
トポロジーというのは,要するに自在に伸び縮みするゴムでできた図形―― ちぎったりしたらだめですけれども―― を考えます。例えば,コーヒーカップというのは普通,把手が1つで,穴が1つあります。穴が1つあいているコーヒーカップと穴が1つあいている浮き袋は同じだとみなす幾何学です。同一視してしまうわけです。穴が1つしかないわけですから,変形していくと同じになってしまうわけですね。そういうものをトポロジーと言うわけです。ですから,穴の数というのは非常に重要です。
 ところが,20世紀中盤以降に発達した数学というのは,物理とも結構乖離しまして,物すごく抽象的になってしまった。ですから,自学自習を含めてですが,現代数学の教育を受けていないと何を言っているかわからない。書いてあること自体も読めない。じゃ,数学者は具体例を知らないかといったら,知っているわけです。ただ,具体例といっても,おもちゃみたいなトイモデルしか計算できない。ところが,世の中のいろんな対象というのは,図形的に捉えようとしてもきわめて複雑なので,どういう幾何学的性質があるかというのを,すでに証明済みの定理があっても,それを応用して理解することができませんでした。ところが,計算機が発達したことで,抽象的と思われてきた定理や理論を使って調べることができるような例が生まれてきました。これが数学応用の急激な発展になっています。
 一番最初の際立った例は,アメリカのラトガース大学でされたことですけれども,タンパク質の構造分析をトポロジーを使ってやるというアルゴリズムができたことです。その方法はいろんな材料科学の研究にまで使われてきています。簡単に言うと,図形の穴の数を勘定することができるようになった。たとえば,穴が多いということは材質が柔らかいということを示唆するでしょう。また,自然というのは単純を好むところがあります。つまり,穴の分布が全体的にはおおよそ整然としているなかで,一部だけへんな所があるとします。例えば,実験では見付かっていないけれど本当はここに分子があるのではないかということを理論が示唆してくれる場合があります。そこで今度は生物学者が実験をしてみると,確かにあるということが判明するなどです。
久保
数学と医学が一緒になって研究しようということも考えられていますけど,どんなことがありますか。
若山
やっぱり医学のデータをどう見るかというところです。しかも,異質のデータを一緒に見ていくにはどうすればいいかという,そういう理論はあまりきちんとできていない。そのときに数学のほうも,多分お手伝いだとだめで,自分たちが面白くならないといけない。そういう意味で,例えばお医者さんが具体的に知りたい,ここがわかればというところを,数学が,ここがわかるためには新しい理屈が必要だ,じゃ,理論を発見しなければいけないと。そういうところで貢献できていくと,新しい数学もできるし,新しい知見も得られる。そういうことはたくさんあると思います。
久保
九大には非常に有名な久山町研究というのがありますけど,数学のほうも関与して,この研究データをどう見るかということに今後役立てていけるのではないかと,先生のお話を聞きながら考えました。
 ちょうど時間になりました。数学の視点から非常に興味あるお話をいただきましてありがとうございました。

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